日本の被服における転換点。
ミシン導入期の裁縫教育に迫る
池田仁美
Profile
武庫川女子大学にて副手、助手、非常勤講師、助教を経て2019年〜現職。
博士(生活環境学)、一級衣料管理士、繊維製品品質管理士、武庫川女子大学附属総合ミュージアム研究員
明治末期、ミシンが開いた
女性たちの新たな学びの扉
かつて、多くの女性たちが初めてふれた機械は「家庭用ミシン」でした。私は「人と衣服の関係」に魅力を感じ、特に明治から昭和戦前期にかけての服飾教育や被服文化について研究しています。中でも注目しているのが、ミシンの普及が始まった明治末期に設立されたシンガーミシン裁縫女学院。この学校は、当時まだ珍しかったミシンでの裁縫教育を行っていた女性のための学び舎です。
私はこの学校で実際に使用されていた教材資料をもとに、授業の様子や学びの中身を読み解こうとしています。当時、衣服はただ「着るもの」ではなく、「学ぶもの」「教えるもの」でもありました。そこに込められた思いや時代の変化を、残された資料から丁寧に探ることが、私の研究の中心です。

100年前の裁縫教育が、
今よみがえる
研究の出発点は、本学に寄贈していただいた裁縫女学院の教材資料との出会いでした。授業ノート、型紙、ミニチュアの服の雛形など100点以上におよぶ資料を初めて見た時、当時の女性たちがミシンや洋服に初めてふれたときの驚きと興奮が、資料を通してまざまざと伝わってきたのです。まるで100年前の教室に立ち会っているかのような衝撃が走りました。
研究ではこうした資料をもとに当時の型紙を電子化し、さらにアパレルCADの3D技術を活用して再現。当時の体型をもとにしたトルソーに着せて、実際の着装をシミュレーションすることで、100年前の裁縫教育のリアルを現代によみがえらせる取り組みを進めています。
当時、ミシンという新しい機械と向き合いながら新しい知識や技術を学び、未来を切り開こうとしていた女性たちの姿を、現代の技術と想像力で描き出すことに挑戦しています。

衣服が映す、
時代と人の想い
その他にも、明治から昭和期に発行されていた『婦女新聞』を用いた洋裁教育の研究や、昭和初期の染色工程をCGで再現する研究も行っています。
『婦女新聞』は女性の自立や地位向上を支援する新聞で、「裁縫を学べば自活できる」という考え方が記事として紹介されていました。その中には、シンガーミシン学校の広告もあり、上流階級の女性たちにとって「裁縫」がどんな位置付けだったのかが見えてきます。また染色技術の研究では、一見シンプルな市松模様に花柄を重ねた着物に注目。どんな順番で染められていたのかを、CGで色を分解しながら再現し、当時の染色工程を分析しました。
衣服とは、単なるモノではなく、人の暮らしや文化を映す“かたまり”である。資料にふれていると、現代では真似できないような織りや染め、刺繍の技術、そしてそれを教える教育の奥深さが浮かび上がってきて、いつも感動します。

衣服の文化的側面を残し、
未来の社会へとつなぐ
私は被服に関する研究を通じて、過去の資料が語る情報を“未来に生きるかたち”で残していきたいと考えています。当時の生活や価値観を、デジタルアーカイブという新しいかたちで記録し、人々が何を大切にしていたのかを次の世代にも伝えていく――それが私の研究の目的です。
資料の公開や研究成果の共有を通じて、衣服をめぐる歴史や人々の想いにふれる場をつくりたい。そして、過去の知と技術を未来につなぐことで、「衣服がもつ文化の力」を広く伝えていきたいのです。